大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和59年(あ)238号 判決

主文

原判決及び第一審判決中、被告人日本アエロジル株式会社に関する部分を破棄する。

被告人日本アエロジル株式会社は無罪。

被告人須ケ間宣雄、同船坂光雄、同田中廣之、同近藤正喜の本件各上告を棄却する。

理由

一上告趣意に対する判断

被告人五名の弁護人澤田隆義及び同小林健治の各上告趣意は、いずれも単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

二職権による判断

(一)  人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律三条の罪の成否について

1  原判決が支持する第一審判決の認定によれば、(イ) 被告人日本アエロジル株式会社(以下「被告会社」という。)は、プラスチック、シリコンゴム等の添加剤であるアエロジルの製造を主たる業とし、その原料である液体塩素を納入業者のタンクローリーから工場内の貯蔵タンクに受け入れていたものであり、被告人須ケ間、同船坂、同田中及び同近藤は、いずれも被告会社の従業員として、右の受入れの業務等を職務としていたものである、(ロ) 被告人近藤は、新入技術員であり、被告人田中とともに、納入業者がタンクローリーで運搬してきた液体塩素を工場内の貯蔵タンクに受け入れる現場作業に従事していた際、右作業について知識経験に乏しく、貯蔵タンクに接続するパイプ上のバルブの配置や操作方法さえ知らなかったのに、被告人田中の承諾を得て貯蔵タンク上の受入れバルブを単独で閉めようとしたため、隣接するパージバルブを受入れバルブと誤解し、しかも、閉まっていたパージバルブを開ける過失行為をし、そのため貯蔵タンク内の液体塩素をパージライン配管に流出させて大量の塩素ガスを大気中に放出させ、よってタンクローリーの運転手二名と付近住民四四名に対し塩素ガスの吸入に基づく傷害を負わせた、(ハ) 被告人須ケ間、同船坂及び同田中は、それぞれの職責上、被告人近藤の右過失行為を予見してこれを防止すべき注意義務があったのに、これを怠ったため、右の傷害の結果を生じさせたというのである。

2  原判決及びその支持する第一審判決は、人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(以下「公害罪法」という。)三条一項にいう「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し」とは、およそ工場又は事業場における事業活動の過程で、人の健康を害する物質を一般公衆の生活圏に排出することをいうものと広く解し、本件事故につき同法三条が適用されると判断した。

3  しかしながら、公害罪法三条一項にいう「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し」とは、同法制定の趣旨・目的、その経過、右規定の文理等に徴すると、工場又は事業場における事業活動の一環として行われる廃棄物その他の物質の排出の過程で、人の健康を害する物質を工場又は事業場の外に何人にも管理されない状態において出すことをいうものと解するのが相当であり、人の健康を害する物質の排出が一時的なものであることは必ずしも同法三条の罪の成立の妨げにならないが、事業活動の一環として行われる排出とみられる面を有しない他の事業活動中に、過失によりたまたま人の健康を害する物質を工場又は事業場の外に放出するに至らせたとしても、同法三条の罪には当たらないものというべきである(最高裁昭和五五年(あ)第二〇一四号同六二年九月二二日第三小法廷判決・刑集四一巻六号二五五頁参照)。

4  そうすると、本件事故は、アエロジルの製造原料である液体塩素を工場内の貯蔵タンクに受け入れる事業活動の過程において発生した事故であって、事業活動の一環として行っている廃棄物その他の物質の排出の過程において人の健康を害する物質を排出したことによって発生した事故ではないのであるから、本件事故につき公害罪法三条を適用することはできないものというべきである。したがって、被告人須ケ間、同船坂、同田中及び同近藤に対し同法三条二項の罪の成立を認め、かつ、これを前提として被告会社に対し同法四条を適用した第一審判決及びこれを支持した原判決は、いずれも法令の解釈適用を誤ったものというべきである。そして、被告会社に対しては、本件は罪とならないものとして無罪の言渡しをすべきであるから、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

(二)  業務上過失傷害罪の成否について

1  被告人須ケ間、同船坂、同田中及び同近藤については、公害罪法三条二項の罪が成立しない場合であっても、原判決が支持する第一審判決の認定した事実の範囲内で業務上過失傷害罪(刑法二一一条前段)が成立することがあるので、以下所論が争う同被告人らの過失の有無について更に検討すると、原判決及びその支持する第一審判決の認定によれば、前記の事実のほか次の事実が存在していた。

(イ) 被告人須ケ間は、本件工場の製造課長であって、同課所属の従業員を指揮監督して同課の業務を遂行し、液体塩素の受入れに関しても、保安管理及び安全教育を実施する職責を有し、被告人船坂は、同課の係員(技師)であって、液体塩素の受入れ作業を担当する技術班に関しては、その責任者として、担当の技術員を指揮監督し、必要な安全管理及び安全教育を行う職責を有し、被告人田中は、同課の熟練技術員であり、液体塩素の受入れ作業を担当する技術班には属していなかったが、本件当日所用で液体塩素の受入れ作業を離れた技術班所属の熟練技術員と交代して途中から臨時にその作業を担当し、未熟練技術員である被告人近藤を指導監督する職責を有し、被告人近藤は、本件の約三か月半前に採用された同課所属の未熟練技術員であり、本件の四日前に技術班に配属され、熟練技術員の指導監督を受けながら安全に液体塩素の受入れ作業を行う職責を有していた。

(ロ) 被告人須ケ間は、液体塩素の受入れ作業を担当する技術班の熟練技術員が本件事故当月の昭和四九年四月から従前より一名少ない三名になっていたうえ、本件事故当時そのうちの二名が出張と休暇で技術班が人手不足となっていたため、他の部署で実習中の被告人近藤を急遽本件事故の四日前である四月二六日から技術班に配置することとし、被告人船坂も、この配置を受け入れていた。

(ハ) しかし、被告人近藤は、それまで技術班の実習を受けたことがなく、液体塩素の受入れ作業についての知識経験が皆無であったうえ、その作業に当たり熟練技術員の直接の指導監督を受けずに単独でバルブの操作等をすることが危険である旨の安全教育も受けておらず、もとより技術班に配置される際にその旨の注意を受けることもなかったため、そのことの危険についてはほとんど念頭になかった。また、被告人田中は、未熟練技術員を指導しつつその者とともに右の受入れ作業に当たる場合には、その者が単独でバルブの操作等をすることのないよう指導監督すべきことについて、十分な安全教育を受けておらず、本件事故の際にもそのことには思い至らなかった。

(ニ) 本件事故当日の四月三〇日午後一時三〇分ころから、技術班所属の熟練技術員波多野正治は、被告人近藤とともに、同人を指導監督しつつ液体塩素の受入れ作業に当たっていたが、午後三時ころ、労働組合の団体交渉に出席するため、被告人田中に作業を引継いでもらい、被告人近藤を塩素室に残して行く旨を言い残して現場を離れた。被告人田中は、午後三時二〇分ころになり、タンクローリーの運転手が「液の元を閉めてくれ」と告げたので、高圧空気を送るパイプのバルブを閉め始めたところ、被告人近藤が、「あっちのバルブを閉めようか」と貯蔵タンク上の受入れバルブを閉めることを申し出たので、特に不安を覚えることもなく「おお閉めてくれ」とこれに応じ、何らの具体的指示を与えることなく、これを了承した。そこで、被告人近藤は、受入れバルブを閉めようとしたが、誤って、閉まっているパージバルブを開いてしまった。

(ホ) そのため、貯蔵タンク内の液体塩素は、受入れバルブ、パージバルブ等を経て塩素ガスとなり、間もなく工場内外の大気中に放散した。工場側は、直ちに被告人須ケ間の指揮の下に、所要の個所に生石灰や中和剤を投入するなどの適切な応急の除害作業に従事する一方、被告人船坂を含む熟練技術員が数回にわたりガスマスクを装着して貯蔵タンク付近を点検するなど懸命の努力をしたが、当初安全弁に連結するパイプ等に霜が付着していて安全弁の異常作動が事故原因と考えられたことなどから真の事故原因が分らず、午後五時過ぎころになり被告人船坂がガスマスクを装着してバルブを点検し直して初めて受入れバルブが開いていることを発見し、これを閉めたことにより、午後六時二〇分ころに至り漸く塩素ガスの漏出を止めることができた。その結果、この事故により、タンクローリーの運転手二名と付近住民四四名に傷害を負わせた。

2  原判決及びその支持する第一審判決は、本件事故については、被告人田中及び同近藤に過失があったことはもちろん、被告人須ケ間及び同船坂にも過失があったとし、その理由として、右の両被告人は被告人近藤を技術班に配置して液体塩素の受入れ作業に従事させるに当たり次のような注意義務を果すべきであったのに、これを怠った旨を判示した。

(イ) 両被告人は、受入れ作業に当たる熟練技術員に対して、被告人須ケ間にあっては自ら又は被告人船坂を通じ、被告人船坂にあっては自ら、当該熟練技術員の直接の指導監督の下でなければ被告人近藤にバルブ操作をさせてはならない旨を指示すべきであり、また、被告人近藤に対しても、熟練技術員の直接の指導監督の下でなければバルブ操作をしてはならない旨を指示すべきであったのに、これを怠ったまま漫然と被告人近藤を技術班に配置した。

(ロ) 両被告人は、右の指示どおりに作業が行われているか否かを確認するため、適宜作業現場を巡回して監視し、作業終了後にはバルブの開閉状況を点検すべきであったのに、これを怠った。

(ハ) 両被告人は、塩素ガスの漏出後は、速かに貯蔵タンク上の各バルブを点検すべきであったのに、タンクの安全弁の異常作動が事故原因であると速断して、タンク上の受入れバルブ及びパージバルブの点検をすることなく時間を経過させた。

3  そこで検討するのに、原判決及び第一審判決が被告人田中及び同近藤について過失を認めたのはもとより正当であり、また、被告人須ケ間及び同船坂について(イ)の過失を認めたのも正当であるが、両被告人について(ロ)及び(ハ)の過失を認めたのは正当とはいえない。

すなわち、被告人須ケ間及び同船坂は、未熟練技術員である被告人近藤を技術班に配置して液体塩素の受入れ作業に従事させるに当たっては、同人が知識経験の欠如から単独で不的確なバルブ操作をして事故を起す危険が予見されたのであるから、同人に対する安全教育を徹底して行い、熟練技術員の直接の指導監督の下でなければバルブ操作をしないことなどを十分に認識させておくべきであり、少なくとも急遽同人を技術班に配置するに際してはその旨を同人に注意しておくべきであった。また、両被告人は、未熟練技術員である被告人近藤とともに液体塩素の受入れ作業に当たる熟練技術員に対しても、その直接の指導監督の下に被告人近藤を作業に従事させ、決して単独でバルブ操作をさせることのないよう安全教育を徹底し、少なくとも被告人近藤を急遽技術班に配置するに際してはその旨を熟練技術員に対し注意しておくべきであった。しかるに、両被告人は、これらを怠ったまま漫然被告人近藤を技術班に配置して液体塩素の受入れ作業に当たらせるという危険な行為に出て本件事故を招来したものであるから、両被告人に過失があったことは否定すべくもない。所論は、被告人近藤の犯したバルブ操作上の二重の過誤は極めて単純な過誤であって、作場現場にいた同被告人及び被告人田中においてこれを防止することが期待できたと主張するが、むしろ極めて単純な操作上の過誤であるからこそ安全教育が不徹底である場合には起りがちであるとみるべきであり、しかも、本件事故の経緯に照らすと、安全教育を受けていない者でも日常の常識から当然単独ではバルブ操作をしないと期待することはできない。そして、本件の場合、もし未熟練技術員が単独でバルブ操作をすることの危険を意識した安全教育が十分になされているか、あるいは少なくとも被告人近藤を技術班に配属するに際してそのことについて適切な指示がなされており、被告人近藤か同田中かがその危険に思い及んでいたとすれば、本件事故は起きなかったと考えられる。したがって、原判決及び第一審判決が以上と同旨の見解を示す限度においては、その判示は正当である。

しかしながら、これらの判決が、両被告人は右の安全教育又は指示を行っただけでは足りず、液体塩素の受入れ作業の現場を巡回して監視する義務がある旨を判示している点は、過大な義務を課するものであって、正当とはいえない。すなわち、右の安全教育又は指示を徹底しておきさえすれば、通常、熟練技術員らの側においてこれを順守するものと信頼することが許されるのであり、それでもなお信頼することができない特別の事情があるときは、そもそも未熟練技術員を技術班に配置すること自体が許されないということになるからである。また、これらの判決は、塩素ガスの漏出後、両被告人が受入れバルブ、パージバルブの点検を速かに行わずに応急の除害活動に気を取られて漏出の阻止を遅らせた点でも過失があった旨を判示するが、これもまた過大な義務を課すものであって、正当とはいえない。すなわち、両被告人は、事故直後ガスマスクを装着して事故現場に臨んだ熟練技術員の報告などから、貯蔵タンクの安全弁の異常作動が事故原因である可能性が高いとの見方を強め、当面最も必要な応急の除害措置として漏出個所に生石灰や中和剤を投入させるなどして漏出阻止のため懸命の努力をしていたと認められるのであり、その措置は、事故原因の解明のためにいかなる手法を採ることが最も有効適切であるかについての一義的な判断基準が存在せず、これらの判決の指摘するような措置を採って応急の除害措置を遅らせることがかえって事故の拡大に結びつく場合もありうることを考えると、決して不適切であったとはいえないのであるから、事後的な判断に立ってこれを不適切であったとし、両被告人に過失の責任を問うことはできない。

そうすると、被告人須ケ間及び同船坂の過失の範囲を過大に認めた点において、原判決及び第一審判決には法令の解釈適用の誤りがあるというほかはない。ただ、これらの判決が認めた傷害の結果は、正当に認めうる両被告人の過失と因果関係があることが明らかであるから、右の誤りは、両被告人に業務上過失傷害罪の成立を認めるうえで何ら支障となるものではない。

4  結局、被告人須ケ間ら被告人四名の各所為は、第一審判決の認定する各被害者に対する各業務上過失傷害罪に当たり、かつ、同罪の法定刑も公害罪法三条二項の罪のそれも、自由刑については同一であり、原判決の維持した第一審判決の同被告人らに対する科刑は、本件が業務上過失傷害罪に当たるとした場合のそれとしても相当なものと考えられるから、前記法令の解釈適用の誤りをもって原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない。

三結論

よって、被告会社の関係においては、刑訴法四一一条一号、四一三条但書により、原判決及び第一審判決を破棄するとともに、被告人事件について更に判決し、同法四一四条、四〇四条、三三六条により被告会社に対し無罪を言い渡すこととし、被告人須ケ間、同船坂、同田中及び同近藤の関係においては、同法四一四条、三九六条によりその各上告を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官角田禮次郎 裁判官大内恒夫 裁判官佐藤哲郎 裁判官四ツ谷巌 裁判官大堀誠一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例